2011年01月05日
チャールズ・ライト (プロレスラー)
チャールズ・ライト(Charles Wright、1961年5月16日 - )は、主に1990年代から2000年代初頭にかけて、WWF(現・WWE)を中心に活躍したアメリカ合衆国のプロレスラー。ネバダ州ラスベガス出身のアフリカ系アメリカ人。
ポン引きギミックのザ・ゴッドファーザー(The Godfather)、怪奇派のパパ・シャンゴ(Papa Shango)など、様々なキャラクターで知られる。
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1 来歴
1.1 初期
1.2 パパ・シャンゴ
1.3 カマ〜NOD
1.4 ザ・ゴッドファーザー
1.5 ザ・グッドファーザー
1.6 引退
2 得意技
3 獲得タイトル
4 脚注
5 外部リンク
来歴 [編集]
初期 [編集]
バンバン・ビガロ、レイヴェン、シェイマスらを輩出したことで知られるプロレスラー養成所 "モンスター・ファクトリー" の出身[1]。1989年9月16日、テネシー州メンフィスのUSWAにてザ・ソウルテイカー(The Soultaker)のリングネームでデビューし、翌月の10月23日にはジェリー・ローラーからUSWAユニファイド世界ヘビー王座[2]を奪取した[3]。
1990年6月、バンバン・ビガロを倒した北尾光司への「モンスター・ファクトリーからの刺客」として新日本プロレスに初来日。全身に施されたタトゥーのインパクトと、マーシャルアーツをベースとした格闘家的なファイトスタイルが注目され、同年は新日本に計4回に渡って参戦。兄弟子のビガロや黒人レスラーの大先輩バッドニュース・ブラウンともタッグを組んだ。10月25日にはプロボクサーとして新日本に登場したトニー・ホームと異種格闘技戦を行っている。
パパ・シャンゴ [編集]
1991年、当時の人気NBAプレイヤーであるチャールズ・バークレーのニックネームと同じサー・チャールズ(Sir Charles)を名乗り、ローブをまとった貴族ギミックでWWFにトライアウト出場。翌1992年に正式契約を結び、ブードゥー教の呪術師をモチーフとした怪奇派ヒール、パパ・シャンゴ(Papa Shango)として本格的なWWFデビューを果たした。黒いシルクハットを被り、顔面にはドクロのペインティングを施し、白煙が濛々と立ち込める頭蓋骨を手に入場。火花を放射する仕込み杖や、呪文を唱えると相手の体から鮮血が吹き出す妖術パフォーマンスなど、キワモノ的なブードゥー・ギミックでセンセーショナルな存在となった。
同年4月5日のレッスルマニアVIIIでは、メインイベントのハルク・ホーガン対シッド・ジャスティス戦に乱入。ホーガンを襲撃するが、ホーガン救出に駆けつけたアルティメット・ウォリアーによって蹴散らされる。ウォリアーは前年8月にWWFを解雇されて以来の登場であり、その露払い役を務めた形となった。以降はウォリアー復帰後の抗争相手となり、またジ・アンダーテイカーとの怪奇派対決も注目を集めた。
しかし、PPV大会での決着戦を前提とした長期間の抗争アングルは組まれず、レッスルマニアでの乱入以降は大きな活躍を残せなかった。1993年からはパパ・シャンゴのキャラクターでUSWAに復帰(WWFとUSWAは前年より提携関係を結び、ジェリー・ローラーも同時期にWWFに登場している)。再びUSWAユニファイド王座を獲得するが[3]、WWFから遠征してきたオーエン・ハートに奪取される。その後はUSWAを離れ、ヨーロッパなどを転戦した。
カマ〜NOD [編集]
1995年、マーシャルアーツの下地を活かし、総合格闘家ギミックのカマ(Kama)に変身してWWFと再契約。ニックネームは"The Supreme Fighting Machine"(最高の戦闘マシーン)。このキャラクターおよびネーミングは、当時UFCにおいて人気を得ていた異色の格闘家キモをイメージしたものだった。テッド・デビアス率いるミリオンダラー・コーポレーションに加わりジ・アンダーテイカーとも抗争するが、ここでもブレイクを果たせず、1996年から再びWWFを離脱。
1997年、今度はファルークが結成した "黒人至上主義軍団" ネーション・オブ・ドミネーション(NOD)の一員としてWWFに復帰(同時期のメンバーは他にディーロ・ブラウン、マーク・ヘンリー、ザ・ロック)。リングネームもネーション・オブ・イスラムを意識してカマ・ムスタファ(Kama Mustafa)と改められ、クラッシュ率いる白人バイカー軍団DOAやリージョン・オブ・ドゥームとの軍団抗争を展開した。
ザ・ゴッドファーザー [編集]
1998年にファルークがNODから追放され、ザ・ロックがリーダーとなりユニット名を "Nation" と改めたことを機に、リングネームをザ・ゴッドファーザー(The Godfather)に改名。ソフト帽に葉巻をくわえたポン引きギミックのヒールとして "ホー(Ho)" [4]を連れて入場、試合前に対戦相手と交渉し、女をあてがう代わりに不戦勝を得るというキャラクターに変身した。
同年夏、当時の中堅選手によるシュート大会として伝説化されている "WWF Brawl for All" に出場後(準決勝でバート・ガンに敗退)、療養のために短期間欠場。その間、ネーションはマーク・ヘンリーとディーロ・ブラウンがロックに造反して解散。これに伴いライトも彼らと袂を分かち、ポン引きギミックはそのままに、ベビーフェイスのシングルプレイヤーとして売り出されることになる。
このフェイスターンは支持を集め、入場後の決め台詞 "Pimpin' Ain't Easy" を観客と一体となって叫ぶなど、絶大な会場人気を獲得。これまで様々なキャラクターを演じながらもブレイクには至らなかったライトにとって、"ザ・ゴッドファーザー" はデビュー10年目にして初めて成功を掴むことのできたギミックとなった[5]。彼自身もゴッドファーザーのギミックを気に入っており、実際の自分にもっとも近いキャラクターだったと述懐している[6]。1999年4月12日にはゴールダストを破りWWFインターコンチネンタル王座を獲得[7]。入場時に引き連れるホーの人数もエスカレートし[8]、AV男優ギミックのバル・ビーナスとの風紀違反コンビも人気を呼んだ。
ザ・グッドファーザー [編集]
観客からは大声援を受ける一方、テレビ番組の放送内容を監視する市民団体 "Parents Television Council(PTC)" は、ゴッドファーザーのギミックは子供の視聴者にとって有害であると糾弾。2000年に入りWWFへのバッシングが高まる中、ライトはギミック・チェンジを余儀なくされた。そこでWWFはPTCに対する当て付けとして、WWF内の検閲活動を行う保守的なヒール・ユニット、ライト・トゥ・センサー(RTC)をプロデュースする。
ゴッドファーザーもRTCの「検閲対象」となり、リーダーのスティーブン・リチャーズの洗脳によってザ・グッドファーザー(The Goodfather)と改名。白いワイシャツにネクタイ姿でRTCの一員となり[9]、同じく検閲を受けて「更生」したバル・ビーナスらと共に、風紀向上のためには手段を選ばないヒールに変身した。同年11月6日にはメンバーの一人ブル・ブキャナンと組んでハーディー・ボーイズからWWFタッグ王座を奪取している[10]。
引退 [編集]
2001年4月1日のレッスルマニアX-Sevenを最後にRTCは解散、しばらくリングを離れた後、2002年1月10日のロイヤルランブルにてポン引きゴッドファーザーとしての久々の登場を果たした。大歓声で迎えられ、その後も自身の商売は「合法」であると主張してリングに復帰。しかし番組への出演機会は減少し、再度のヒールターンの末、バル・ビーナスとの泡沫的な抗争を経て、サイドビジネス(地元ラスベガスでのトップレス・クラブ経営)に専念するためセミリタイアした。
その後はベビーフェイスの立場でスポット的に登場し、9月に行われたゲイ・ギミックのタッグチーム、ビリー&チャックの「結婚式」では、彼らは実際にはゲイではなく、自分のところから娼婦を買っていたことを暴露。翌月の10月7日、地元ラスベガスで行われたRAW・ルーレットのジェリー・ローラー対スティーブン・リチャーズ戦でのゲスト出演を最後にWWFを退団し、そのまま引退した。
以降もWWEの興行や番組には時折登場。2005年6月26日のヴェンジェンスではヴィセラとリリアン・ガルシアのスキットを、2007年9月21日放送のスマックダウンではセオドア・ロングとクリスタルの結婚披露宴を、それぞれホー達を引き連れて登場しメチャクチャにしている。2007年は12月10日のRAW15周年大会にも出演した。
2009年11月にはハルク・ホーガンがオーストラリアにて主宰したハルカマニアツアーに、ピンプ・ファーザー(Pimp Father)のリングネームで参加している[11]。
得意技 [編集]
ピンプ・ドロップ
ホー・トレイン(コーナーへのボディ・スプラッシュ)
STF(カマ時代に使用)
カナディアン・バックブリーカー+ショルダーバスター(パパ・シャンゴ時代に使用)
獲得タイトル [編集]
USWAユニファイド世界ヘビー王座:2回 [3]
WWFインターコンチネンタル王座:1回 [7]
WWFタッグ王座:1回(w / ブル・ブキャナン) [10]
ポン引きギミックのザ・ゴッドファーザー(The Godfather)、怪奇派のパパ・シャンゴ(Papa Shango)など、様々なキャラクターで知られる。
目次 [非表示]
1 来歴
1.1 初期
1.2 パパ・シャンゴ
1.3 カマ〜NOD
1.4 ザ・ゴッドファーザー
1.5 ザ・グッドファーザー
1.6 引退
2 得意技
3 獲得タイトル
4 脚注
5 外部リンク
来歴 [編集]
初期 [編集]
バンバン・ビガロ、レイヴェン、シェイマスらを輩出したことで知られるプロレスラー養成所 "モンスター・ファクトリー" の出身[1]。1989年9月16日、テネシー州メンフィスのUSWAにてザ・ソウルテイカー(The Soultaker)のリングネームでデビューし、翌月の10月23日にはジェリー・ローラーからUSWAユニファイド世界ヘビー王座[2]を奪取した[3]。
1990年6月、バンバン・ビガロを倒した北尾光司への「モンスター・ファクトリーからの刺客」として新日本プロレスに初来日。全身に施されたタトゥーのインパクトと、マーシャルアーツをベースとした格闘家的なファイトスタイルが注目され、同年は新日本に計4回に渡って参戦。兄弟子のビガロや黒人レスラーの大先輩バッドニュース・ブラウンともタッグを組んだ。10月25日にはプロボクサーとして新日本に登場したトニー・ホームと異種格闘技戦を行っている。
パパ・シャンゴ [編集]
1991年、当時の人気NBAプレイヤーであるチャールズ・バークレーのニックネームと同じサー・チャールズ(Sir Charles)を名乗り、ローブをまとった貴族ギミックでWWFにトライアウト出場。翌1992年に正式契約を結び、ブードゥー教の呪術師をモチーフとした怪奇派ヒール、パパ・シャンゴ(Papa Shango)として本格的なWWFデビューを果たした。黒いシルクハットを被り、顔面にはドクロのペインティングを施し、白煙が濛々と立ち込める頭蓋骨を手に入場。火花を放射する仕込み杖や、呪文を唱えると相手の体から鮮血が吹き出す妖術パフォーマンスなど、キワモノ的なブードゥー・ギミックでセンセーショナルな存在となった。
同年4月5日のレッスルマニアVIIIでは、メインイベントのハルク・ホーガン対シッド・ジャスティス戦に乱入。ホーガンを襲撃するが、ホーガン救出に駆けつけたアルティメット・ウォリアーによって蹴散らされる。ウォリアーは前年8月にWWFを解雇されて以来の登場であり、その露払い役を務めた形となった。以降はウォリアー復帰後の抗争相手となり、またジ・アンダーテイカーとの怪奇派対決も注目を集めた。
しかし、PPV大会での決着戦を前提とした長期間の抗争アングルは組まれず、レッスルマニアでの乱入以降は大きな活躍を残せなかった。1993年からはパパ・シャンゴのキャラクターでUSWAに復帰(WWFとUSWAは前年より提携関係を結び、ジェリー・ローラーも同時期にWWFに登場している)。再びUSWAユニファイド王座を獲得するが[3]、WWFから遠征してきたオーエン・ハートに奪取される。その後はUSWAを離れ、ヨーロッパなどを転戦した。
カマ〜NOD [編集]
1995年、マーシャルアーツの下地を活かし、総合格闘家ギミックのカマ(Kama)に変身してWWFと再契約。ニックネームは"The Supreme Fighting Machine"(最高の戦闘マシーン)。このキャラクターおよびネーミングは、当時UFCにおいて人気を得ていた異色の格闘家キモをイメージしたものだった。テッド・デビアス率いるミリオンダラー・コーポレーションに加わりジ・アンダーテイカーとも抗争するが、ここでもブレイクを果たせず、1996年から再びWWFを離脱。
1997年、今度はファルークが結成した "黒人至上主義軍団" ネーション・オブ・ドミネーション(NOD)の一員としてWWFに復帰(同時期のメンバーは他にディーロ・ブラウン、マーク・ヘンリー、ザ・ロック)。リングネームもネーション・オブ・イスラムを意識してカマ・ムスタファ(Kama Mustafa)と改められ、クラッシュ率いる白人バイカー軍団DOAやリージョン・オブ・ドゥームとの軍団抗争を展開した。
ザ・ゴッドファーザー [編集]
1998年にファルークがNODから追放され、ザ・ロックがリーダーとなりユニット名を "Nation" と改めたことを機に、リングネームをザ・ゴッドファーザー(The Godfather)に改名。ソフト帽に葉巻をくわえたポン引きギミックのヒールとして "ホー(Ho)" [4]を連れて入場、試合前に対戦相手と交渉し、女をあてがう代わりに不戦勝を得るというキャラクターに変身した。
同年夏、当時の中堅選手によるシュート大会として伝説化されている "WWF Brawl for All" に出場後(準決勝でバート・ガンに敗退)、療養のために短期間欠場。その間、ネーションはマーク・ヘンリーとディーロ・ブラウンがロックに造反して解散。これに伴いライトも彼らと袂を分かち、ポン引きギミックはそのままに、ベビーフェイスのシングルプレイヤーとして売り出されることになる。
このフェイスターンは支持を集め、入場後の決め台詞 "Pimpin' Ain't Easy" を観客と一体となって叫ぶなど、絶大な会場人気を獲得。これまで様々なキャラクターを演じながらもブレイクには至らなかったライトにとって、"ザ・ゴッドファーザー" はデビュー10年目にして初めて成功を掴むことのできたギミックとなった[5]。彼自身もゴッドファーザーのギミックを気に入っており、実際の自分にもっとも近いキャラクターだったと述懐している[6]。1999年4月12日にはゴールダストを破りWWFインターコンチネンタル王座を獲得[7]。入場時に引き連れるホーの人数もエスカレートし[8]、AV男優ギミックのバル・ビーナスとの風紀違反コンビも人気を呼んだ。
ザ・グッドファーザー [編集]
観客からは大声援を受ける一方、テレビ番組の放送内容を監視する市民団体 "Parents Television Council(PTC)" は、ゴッドファーザーのギミックは子供の視聴者にとって有害であると糾弾。2000年に入りWWFへのバッシングが高まる中、ライトはギミック・チェンジを余儀なくされた。そこでWWFはPTCに対する当て付けとして、WWF内の検閲活動を行う保守的なヒール・ユニット、ライト・トゥ・センサー(RTC)をプロデュースする。
ゴッドファーザーもRTCの「検閲対象」となり、リーダーのスティーブン・リチャーズの洗脳によってザ・グッドファーザー(The Goodfather)と改名。白いワイシャツにネクタイ姿でRTCの一員となり[9]、同じく検閲を受けて「更生」したバル・ビーナスらと共に、風紀向上のためには手段を選ばないヒールに変身した。同年11月6日にはメンバーの一人ブル・ブキャナンと組んでハーディー・ボーイズからWWFタッグ王座を奪取している[10]。
引退 [編集]
2001年4月1日のレッスルマニアX-Sevenを最後にRTCは解散、しばらくリングを離れた後、2002年1月10日のロイヤルランブルにてポン引きゴッドファーザーとしての久々の登場を果たした。大歓声で迎えられ、その後も自身の商売は「合法」であると主張してリングに復帰。しかし番組への出演機会は減少し、再度のヒールターンの末、バル・ビーナスとの泡沫的な抗争を経て、サイドビジネス(地元ラスベガスでのトップレス・クラブ経営)に専念するためセミリタイアした。
その後はベビーフェイスの立場でスポット的に登場し、9月に行われたゲイ・ギミックのタッグチーム、ビリー&チャックの「結婚式」では、彼らは実際にはゲイではなく、自分のところから娼婦を買っていたことを暴露。翌月の10月7日、地元ラスベガスで行われたRAW・ルーレットのジェリー・ローラー対スティーブン・リチャーズ戦でのゲスト出演を最後にWWFを退団し、そのまま引退した。
以降もWWEの興行や番組には時折登場。2005年6月26日のヴェンジェンスではヴィセラとリリアン・ガルシアのスキットを、2007年9月21日放送のスマックダウンではセオドア・ロングとクリスタルの結婚披露宴を、それぞれホー達を引き連れて登場しメチャクチャにしている。2007年は12月10日のRAW15周年大会にも出演した。
2009年11月にはハルク・ホーガンがオーストラリアにて主宰したハルカマニアツアーに、ピンプ・ファーザー(Pimp Father)のリングネームで参加している[11]。
得意技 [編集]
ピンプ・ドロップ
ホー・トレイン(コーナーへのボディ・スプラッシュ)
STF(カマ時代に使用)
カナディアン・バックブリーカー+ショルダーバスター(パパ・シャンゴ時代に使用)
獲得タイトル [編集]
USWAユニファイド世界ヘビー王座:2回 [3]
WWFインターコンチネンタル王座:1回 [7]
WWFタッグ王座:1回(w / ブル・ブキャナン) [10]
Posted by tokyokarasu2010 at 01:57│Comments(0)
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